今になって、言われたこと、されたことを少しだけ冷静に思い返せるようになった。
そこで思うのは、やっぱりあの人は病気だったんだなということ。
激しい被害妄想があった。
調べると、決まってひとつの病名に辿り着く。
通院していた病院では、その診断は出ていなかった。
そりゃそうだ。
もともと外面のいいあの人は、診察の時先生の前でやたらといい子ぶる。
自分がしたことー暴力だとか、暴言だとかーは、先生にはほとんど言っていなかったようだ。
だから診断は、別の病名。ある意味、あの人が望んでいた病名。
それがあれば、色んなことへの免罪符にできるから。
そんなことも後から私が先生と話して分かったこと。
でも、あの時もう少しこうしていたら、とか、こう言っていたら、少しは違っていたのかもしれない、という後悔がどうしてもある。
この先あんな病気のあの人がどうやってひとりで生きていくんだろうと気になることも。
(あの人が心配というよりは、将来的に子に迷惑がかからないだろうかって観点からだけど)
「仕事辞めていいよ」
「後のことは一緒に考えよう」
今になったから思えること。
当時そんなことを言ったらキレられ怒鳴られ、どんな目に遭っていたかは分からない。
そもそもあの人がああなった理由は私たち家族にあったわけじゃない。
あったとしたら、発症の、ほんの些細なきっかけになっただけなんだと思う。
根っこのとこは、長い時間、それはもう幼少期から、じわじわと醸成されてきたモノなんだと、たくさんたくさん調べて知った。
「こんな病気になったのは、お前のせいだ」
何度も怒鳴られて、そう思い込んでしまったのかもしれない。
それでも、もっと何か方法があったんじゃないかなと、今でも思ってしまう日がたまーにある。
あくまでたまーに、だけど。
当然、思い出して腹が立つ日の方が断然多いのだ。
今さら後悔したところでどうにかなるわけないし、何よりまたあの息苦しい、死んだような生活に戻る気はさらさらない。
子がニコニコ楽しそうにしている今が正解なんだ。
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